artist's notes

制作雑記

私の線と作品について 2005/February

私の作品つくりはいつも私自身の毎日の生活や、小さな野菜畑から始まります。子供との散歩道でのできごとや雨だれの音、蜘蛛の巣や虫食いのはっぱの様子など、自然のマイクロコスモス、マクロコスモスの世界をさまよって、自分の意識が白昼夢の世界へと入っていきます。子供の頃のナイトタイムストーリーや夢の断片があらわれて、そこから段々と想像上の物語にでてくるような、思いがけない作品ができあがってきます。

私の作品はどちらかというと、このように無意識の中からつむぎだされる物語のようなものゆえ、あらかじめ考えたプランとは全く違うものになることが多いのです。楽しいことでもありますが、きちんとした企画書というものが提出できないのが悩みの種です。これは自分にたいしての驚きもあり、自分の予想どおりの作品ができるより、こうしたものの方がはるかにすぐれたもののようです。頭で考えられること等しょせんは小さなものなのでしょう。

線のスピード

私は絵を描いたり、布でタペストリーのようなものをつくったり、様々な素材で多様なものを作ります。しかし、何かが一貫しており、見る人はすぐ「これはチャコの作品だ」、と指摘できるといいます。自分でもそれがなぜなのか何かははっきりしませんが、おそらくそれはちょっとぎこちない線や、形などにみられる空気なのだと思います。私自身は決してわざと不器用につくっているわけではなく、それどころかなんとかぴっちりと決まる線を描こうと大変な努力をしているのです。

線のスピードは強弱、そして気持ちで1本の線は驚くほど多様な顔を持つことができます。また、私はたとえ油絵でも彫刻でも自分の一番の特徴は線にあると思っています。その線は一本の線をひいただけで、その人の思いがわかるように思えるのです。だから私の作品づくりには線が一番重要な役割をはたしているようです。それはミシンを用いても、はさみや針金をもちいても、自分だけの思いの伝達ができる線をつくることができると思います。一本のミシンの線で一人一人の思いや個性が表せるなんて、アートとはすごいものだ、と思います。

彫刻と建築の関係について思うこと 2005/January

すぐれた彫刻、建築、都市のランドスケープ、これら人間による構築物の多くは自然界を参照して始まったものばかりです。例えばガウディの作品に顕著であるように、自然界の形が作品の中にシンボリックにとりこまれ、その中にはいるとまるで生き物の身体の中にはいったような活力と生命力を人間に与えてくれます。

また、アウトサイダーアート、として知られた作品の中にもそのような魔力をもった名作が数多く残されております。ロサンジェルスのワッツ地区に33年間かけて構築された「ワッツタワー」。高さが30メートルにもおよぶこの壮大なタワーは、ロディアというイタリア人移民が「人生で何か大きい事をしたい」と思い立ち、その大プロジェクトを生涯かけてやり抜いた.ゴシック建築を思わせるそのタワー群は建築力学に基づいて建てられたものではなかったため、何度も撤回の危機にさらされたが、現在は文化遺産として保存されています[1]

フランスの郵便配達員であったシェバルもまた自分だけの魔法の宮殿を1879年から33年間かけて作りあげました。郵便配達の帰りにトロッコで拾った石で完成させたその宮殿は、カンボジアの世界遺産アンコールワットに匹敵するほどのスケールと繊細な様式美を備えた、建築というものの常識を覆すような作品です。このような作品が専門教育を持たない市井の個人において成し遂げられた、という事実は一体どう解釈したらよいのでしょう。私が様々なアウトサイダーアートをリサーチして得た結論のひとつは、彼らは自分自身の渇望した何かを自分自身のために一生かけてつくりあげた、ということです。そして彼らのさがしもとめていたものは「子供時代のユートピア」であったに違いない、と私には思えます。

我々人間は、自分たちの文化遺産、または他者にみられる文化のシンボルを取り込み、咀嚼いて自分自身の身体の血とし肉としていきます。建築などにみられる形や意匠は多様な文化または信仰が人々の生活に深く結びついています。伝統様式、自然美、または機械テクノロジ−文明、こうしたものは様々な形で参照され、融合され、近代建築、現代建築の中で応用されています。フランクロイドライトは50年代、日本文化に魅せられ、禅画や書道をあつめ、それを参照して東と西の文化と歴史が融合した世界を多々つくりあげましたし、丹下健三は60年代に日本の精神的な歴史と新しい機械文明テクノロジー文明を融合させ、東京に歴史的なオリンピック村を作りました。画家であるフンデルトワッサーは「一本もまっすぐな直線のない」有機的なかたちで「お菓子の家をつくって遊んだ子供時代の記憶」[2]の喚起するような建物をつくりあげました。またマレーシアの首都クアラルンプールにそびえ立つペトロナスタワーは独自の過去の遺産と文化の多様性をもりこんでつくられた作品のひとつの例でしょう。何世紀も仏教、イスラム教、ヒンズー教が混在し、さらにポルトガルやイギリスの支配下にあったこの国のこうした多文化社会の状況が、全面的に反映されています。

こうした建築はそれぞれの意味において、歴史や文化の多様性、そして哲学や科学といった人間の英知を具現化しています。評論家のスクリュートンは「建物というのは、人間の理想の探求の生産物である」[3]と表しました。大地に根をおろして様々な形で立ち上がる建築物、それらは常に変容を繰り返す新しい文化や、人間の情熱を反映します。そして私達の時代の「子供時大のユートピア」へのつながりも表象しているのだと思います。


[1] P179, John Maizels, Raw Creation,Phaidon,1996

[2] P204 John Maizels, Raw Creation,Phaidon,1996

[3] P53, Scrurin, R., Aesthetics of Architecture, London, Methuen, 1979

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