artist's notes
デヴィルベンド:ウィードプロジェクトについて
2007(アーティストトーク)
この展覧会はモーニントン美術館によって「デビルベンドという場所」というテーマで計画された。長い間公共に閉ざされていた100ヘクタールにもわたるデビルベンドという秘境の地が、市民運動を経て市民の手に渡ることになったのだ。そのことを祝い、環境問題について探求している7名のアーティストが選ばれそれぞれがこの場所について様々な見地から作品を制作した。
この作品は、彫刻立体、スケッチドローイング、ビデオ、写真、という多角的な構築性の高いインスタレーションである。制作の中心テーマはweeds(害草、害木)。weedsの持つアンビバレンツな性質に以前から興味を持っていた。
西欧社会においてweedsとは、環境保護の立場からいけば、もとにある生態系が危機にさらされる元凶である。いってみれば「害虫」であり、「ペスト」であり、静かなる「テロリスト」でもある。しかし、一方、weedsは美しく、薬効のあるものも多い。(日本語での訳語は「雑草」くらいしか思い当たらないが、weedsによる脅威がないためであろうか。)ある人は「これはweedsだ」というが、職業や立場の違いでその定義はスライドする。weedsとはそのものに毒があるわけではない。ただ、あるべきところではない所に生息している、ということが問題なのだ。立場によって、何をweedsとするかは微妙に異なる。そしてそうした定義の定まらない状況におかれているweedsとは、特殊な人達だけの問題ではなく、誰の家の庭にもおなじみのものであり、きわめて普通の日常の問題でもある。
そうした日常性をもつ「役者」はアーティストにとっては大変魅力的だ。その役者をどのように立ち回らせるか。どんな役を割り当てるか。
私の作品は常に自分の生活の足元からゆっくりとたちのぼってきたものが、スタートポイントとなる。そして自分のアート制作と自分の生活とが有機的な関係をとりつつ、作品の中にアーティストの生活そのもの、私が生きているこの時代と世界のリアリティがすかしてみえるような作品ができることを望んでいる。(のちに述べるdvd作品もそのための試みである)。
まず、デビルベンドへリサーチに行った時に偶然手にいれた大量のweedsを使って、子供がひいて遊ぶようなトラックを数台作った。またその他にも自分の家の近辺のダンデノン山脈でとったweedsもたくさんつかった。これはこの作品の中で、デビルベンドと自分の生活する土地とを融合させ、「結婚」させるためである。
何故トラックか、というと、
1、 トラックは動くものであるため。私の作品づくりにおいて「ものごとは常に変化して、生きているいる」という考え方は中心をなすものである。またweedsの性質が「知らないうちに地下で移動し、増殖し続けるもの」であるため。
2、 デビルベンドの土地をアーティストたちと歩いた時、大量のweedsがトラックにのって運び出されてきて、そのweedsをトラックの材料としたため。
3、 私にとって車、飛行機、自転車、船、など交通手段のもの、移動性をしめすものを20年まえから絵画や立体のモチーフとして作成してきたものであるため。それらは日常的に親しまれている主題であり、少年の夢の世界観を担うような役者であるため。こうした自分の作品を通じて、観るものが子供時代のユートピアへ移行できるような、親しみやすいかつ日常的な取っつきやすいものでありたい、とおもっている。
トラックづくりのため、まずweedsを解体する。葉や花をおとし、枝、幹をおなじような大きさのものに切りおとす。そして再構築する。この、「採取、解体、集積、再構築」という行為は私の作品づくりの核をなすメソッドである。こうしてはじめて私は自分をとりまく「世界の構造」に気づき、理解する。トラック自体は実に単純なメソッドでできている。これはクラフト性を誇示するための作品ではない。それよりも、子供が必死で作るわけのわからない工作、というほうが近いだろう。私自身、そのプロセスが楽しいし、そのことが真の意味での創造性の源である,と信じている。
そしてそのトラックを持って、こんどは息子と夫と再度デビルベンドを訪ねた。まずこのトラックの肖像を撮った。(この写真はひきのばされて、インスタレーションの一部となっている)。その後その広大な場所をトラックをひいて2人に散歩してもらい、それをショートビデオ(dvd)とした。こうしてこのビデオ作品において、立体物がただのオブジェクトで終わらず、実際の生活の中で機能することに成功した。そしてこれを自分の家族が行うということで、私の家族という母体がアート作品の中に侵入させる事ができた。
私はこの作品ビデオを撮りながら、一種複雑な気持ちがしたものだ。このトラックの原材料となったweedsは、いわばこの保有地から「悪人」として追放された、侵入者の末裔である。もともとはどこか遠くの外国からやってきて、この土地の生態系を狂わせたものなのだ。その事実は移民国家オーストラリアと投影せずにはいられなかった。200年前に突然やってきて、そこにあった社会を根こそぎに破壊し、築きあげた社会であることはいまや誰も反論の余地はないだろう。そして、またそのことは私達移民家族のことに投影せずにはいられなかった。このweedsのトラック達も、一度は追放されながら、こうして元々の「故郷」に帰って来たわけである。しかも我々のような「non indegenous家族 (非原住民)」に連れられて。
こうした、事象についての意味の二重性、三重性は、しかしながら私達が生きている現在の世の中を反映している。もはや何も白黒はっきりと分けられる現象はない。環境問題も、政治問題も、家庭の問題も、自分自身の問題も、善も悪も正義も良心も、すべてそれぞれがいろいろな形で枝葉や根をからませ、裏返ったり反転したりして成長している。まるでweedsのように。
インスタレーションにもどろう。
ドローイングは前述したように、この立体作品をもっと深く理解するために行ったスケッチである。その際、視点を様々に置き、ものごとの見え方というものが、視点の置き方によっていかに変わるか、ということを強調したかったためだ。
インタビュービデオはweedsの微妙な認識について、様々な率直な生の意見を集め、構築したい、という意図のもとにつくった。「あなたにとってweedsとは何ですか?20人の思慮深い友だちに訊く」、というタイトルだが、主に私の家族、この地域の友人を中心に、モーニントンで出会った友人達へのインタビューで構成した。weedsの専門家、子供、などそれぞれの立場から、多様な思いを語ってもらった。このインタビューによって、また直接的に私の生活の拠点にいる人達にも作品参加してもらうことができた。
最後に草による壁画。これは実際weedsをつかって(草)、weedsスケープを描いたものだ。ピンと草によって会期中少しずつ「育っていく」がごとく毎週2−3日かよって少しずつ作っていった。この作品によってweedsのはかなく、しかし美しい風景を描きたかった。
全体のインスタレーションを見回した時、Weedsの持つ、移動性、永遠性、循環的性質、などをトラックの終わりなき旅、に重ねあわせてみえることが大切なテーマであった。私が最も提示したかった点のひとつにはWeeds という絶対的定義をもたない、他の条件に支配されるもののあり方が、実は私たちの生活そのものなのではないか、という問いでもある。そしてそれが現実であり事実であり、良でも否でもない、ということ。私達アーティストにできることは、そうした事象を自分の足元から照射して、丁寧に描く事であろう。今回はテーマを明確にして、様々なミディアムを使い、違った角度から時間軸をずらしながらできあがった作品群を設置することができた。また大きな収穫としては、現実的場所から材料を得て、それによってものを作り(ものづくりは錬金術的な魔術力によるものだと思う)、それをオブジェクト(立体の形)にして美術館にて展示する、というところで終わらせることなく、その作品をまた現実にもどし現実の生活になじませそれを記録する、というところまで成しえた点であろう。また、自分の家族や生活の基盤になっている友人たちと、自分の錬金術的作品づくりを融合しえたことも自分の中では大きな喜びであった。
このプロジェクトは今後も少しずつまたweedsのように、形と場所を変えながら育っていく予定である。